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弁護士コラム

弁護士1日日記 平成26年11月度

【嗚呼玉杯に花うけて:創立6周年】
 この1日日記で一番大事なのは11月1日号である。新事務所創立以来の歴史を刻む。今年は満6周年である。「人は変われど、我は変わらず」、と言った気分でこの6周年を噛み締めている。
 さて、話は1902年(明治35年)に遡る。この年、1月30日、日英同盟が成立している。相手は大英帝国である。対等同盟と言われ、日本中が沸き立った。
 当時は、ロシアの影に押され、いつか衝突する時が来るのではないかと懸念されていた。ヨーロッパの政治勢力は英・露仏・独墺の3ブロックに割れていた。(この構造が後にやってくる第1次世界大戦の構図となる。)
 露の勢力を感じていた英は極東で力を付けている日本に関心を示し、日英同盟に至る。日本にとっても、露の圧力をかわす力強い味方として英を捉え、「平和のための同盟」と国民に歓迎された。(半藤一利著「日露戦争史1」)
 その明治35年3月に生まれた寮歌が「嗚呼玉杯に花うけて」である。ともに第1高等学校生であった矢野勘治が作詞し、楠正一が作曲した。
 高校時代から好んで口ずさんできた歌だが、5番に出てくる「魑魅魍魎も影ひそめ、金波銀波の海静か」がロシアの事を意味していたとは知らなかった。
 日英同盟はロシアに二正面衝突の危険があり、戦争を避ける力になると思われたが、結果的には日本は1904年2月9日、日露戦争へと突入して行く。(日英同盟が日本の勝利にどう機能したかは興味のあるテーマである。)
 多くの戦史に残る戦いがあったがここでは触れない。半籐史観によると、明治維新(1868年)からほぼ40年後の日露戦争(1905年)で取得した満州権益が後の日中紛争の種となり、結局40年後の1945年、太平洋戦争ですべて失い、元に戻ることとなった。(そのために実に320万人と言う尊い命を失った。)
 帝国主義時代という歴史を経て、今日の平和な時代がある。しかし、人生意気の感じて生き抜く姿勢はかの時代の方が勝っていたように思われる。
 我が事務所は、平成30年11月1日の創立10周年を迎える。地域のため、依頼者のため、正義の実現のため、一層、情熱を注いで生きて行きたい。
  平成26年11月1日
                             弁護士 加 藤 謙 一

(2014-11-04)