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弁護士コラム

弁護士1日日記 平成27年6月度

父を送る

 5月11日、父が他界した。95歳だった。
 父は大正9年4月1日生まれで、この4月満95歳を迎えたばかりであった。父は昭和16年9月1日、21歳の時、陸軍に入った。その年、12月8日大東亜戦争(太平洋戦争)に突入する。
 所属する部隊は、名古屋に部隊を持つ「泉第5314部隊」である。
 翌17年10月、満州に向け出発し、2年間満州で過ごし、昭和19年7月、フィリピンに転戦し、8月25日にはマニラに到着している。
 昭和19年10月20日には、フィリピン・レイテ島に転出し、ここでマッカーサー率いる米軍と戦う。
 米軍との戦いは悲惨を極め、日本軍はほぼ全滅(マッカーサーは日本軍死者80557名、捕虜798名と発表している。米軍死者は3320名である。)した。
 父は右足下腿部貫通銃創を受け、捕虜となり生還ができた。日本に帰って来たのは昭和21年11月3日である。26歳となっていた。
 翌22年6月14日母と結婚し、翌23年8月19日私が誕生した。
 
 今年は、戦後70年である。軍隊経験を持つ人は、わずかな人数となったことだろう。
 300万人を超す犠牲者を出した大東亜戦争(太平洋戦争)は日本史の最後の戦争として歴史に残ることとなるだろう。(次の戦争は滅亡の時となる。)
 如何に戦争を避けるかが真剣に検討されなくてはならない。戦争の根本原因は「覇権主義」にあり、武力を以って領土的野心を遂げようとする思想を根絶しなければならない。
 戦後70年という節目に「集団的自衛権」の議論がされている。議論の根本を如何に戦争を回避するかに徹底する必要がある。
 70年もの間平和で暮らせたことに感謝しつつ、自分たちの世代にできることを考えたい。

 残された時間はそんなに多くない。

平成27年6月1日      
           弁護士 加藤謙一

(2015-06-02)