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弁護士コラム

弁護士1日日記 平成27年7月度

「永遠の0」再考
 6月28日、父の四十九日法要を営み、納骨を済ませた。自宅の遺影も片付け、一区切りした。人の思い出の消失とともに消え去るということを感じた。

 陸軍戦士だった父の最後を看取ったことから、70年前の終戦をもう一度考えようと思い立ち、ビデオ屋で「永遠の0」を借りてきて、2度見た。
 帰りを待つ妻子の為に生きて帰ることを最優先していた宮部がなぜ最終場面で「特攻」を志願し、且つ搭乗する戦闘機の交換を持ち出したのか。
 自ら戦士として出撃する戦闘で己の技術で生き抜くことと、若者を特攻に送り込むことを任務として生き残ることの違いに苦しみ、生きて「妻子のもとに帰る」ということを捨て、身代わりの若者(自分自身26歳の若者ではあったが)を救命し、妻子のもとに送り届ける(約束を果たす)という選択を示したのではないか。それが、あの時代の価値観を示しているように思われる。
 
 それにしてもなぜ「永遠の0」なのか。ゼロ戦を巡る多くの議論が組み込まれた作品であり、戦闘機造りに日米の価値観の差を知ることが出来る。
 開戦当時世界最高レベルの戦闘機と評価されたゼロ戦があったがゆえに返って多くの過ちを犯したということも一つの切り口なのかもしれない。

 ビデオを二日間で2回見たが、2回目は妻と二人で見た。ほとんど死ぬことが確実視される戦場に若き夫を送る妻の思い、もう帰って来れないと判っていながら、「必ず帰ってくる」と誓う夫の苦渋を、涙しながら二人で見た。

 生きることと死ぬことが背中合わせであった時代から70年を経た。「永遠の0」は戦後60周年の作品であった。あれから10年を経て、戦争を知る父の世代はほとんどいなくなった。
 戦後80周年はどんな時代になっているのか。自分から次の世代にバトンタッチする時間と自覚して次の10年を生きていこう。

平成27年7月1日
             弁護士 加藤謙一

(2015-07-01)